人権が尊重される社会づくりのために
~自分に関わりのあることとして同和問題をはじめあらゆる人権問題について考えましょう~



 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました中川でございます。
 本日は、皆さん方と同和問題を始め様々な人権問題について考える機会を与えていただきましたことうれしく思います。これから約90分間、人権問題について皆様と一緒に考えていきたいと思います。どうかよろしくお願い致します。
 本題に入る前に少しだけ、自己紹介をさせていただきます。
 ただいま、「熊本県統括コーディネーター」とご紹介いただきましたが、私の職名を始めてお聞きになった方がほとんどだと思いますので統括コーディネーターの仕事を少し紹介します。
 皆さん方は、コミュニティ・スクールだとか学校応援団という言葉をお聞きになった方も多いことと思います。今、学校では、地域とともにある学校づくりを目指しています。これは、学校と地域が連携・協働して社会総掛かりで未来を担う子供たちの成長を支え、併せて持続可能な地域を創生して行きましょうという考え方です。子供たちが我がふるさとを誇りに思い、ふるさとを愛し、ふるさとの未来を背負う人材になるよう地域みんなで育てていきましょうというようなことを教育委員会や地域、学校に普及啓発をすることが私の仕事です。
 皆さん方の中には、学校応援団の一人として学校にかかわっていらっしゃる方も数多くいらっしゃることと思います。お礼ととともにこれからも子供たちにかかわっていただきますようお願い申します。
 さて、熊本地震から3年が過ぎました。被災からの復旧・復興が進められています。まだまだ道半ばですが、少しずつ活力が戻りつつあります。一日も早く、創造的復興が為されることを願っています。
 私はあの熊本地震からいくつものことを学びました。そのいくつかを紹介します。
 まず、避難所での生活です。災害弱者と言われる、高齢者、障害者、子供たちをみんなで支援したことです。避難所で一番困ったことはトイレです。断水しましたのでトイレで使う水をどう確保するかが課題でした。避難所となった学校では、学校中のバケツを総動員して、プールの水をバケツにくみ、トイレの前に並べていました。また、外のトイレは、男性が使い、校舎内のトイレは、災害弱者と言われる高齢者、障害者、女性、子供が使うなどとルールを決めていたところもありました。また、ある学校では、子供が水の入ったやかんを持ち、トイレの前で用を済ませる人を待ち、「これで手を洗いませんか」と水をかけてやったと言う話も聞きました。これらは、自分でできることは自分でする、みんなで力を合わせてやっていくの「自助」、「共助」の気持ちの表れです。この自助・共助は、人権感覚が豊かでなければできることではありません。日頃の生活の中で、人権感覚が身についていたからこそできたことです。
 「ハッピー バースデイ ツー ユー」の誕生日を祝った逸話は、宇土東小学校でのことです。宇土東小学校の避難所で、一人の高齢の方と小学校低学年くらいの兄弟との出会いです。いろんな話の中で高齢の方が「明日は、私の誕生日」とおっしゃったそうです。それを聞いて、兄弟は「ハッピー バースデイ ツー ユー」と歌い始めたというのです。「今日ではないのよ。明日よ」と言っても歌を止めなかったので、うれしくて涙が止まらなかったそうです。あまりのうれしさに名前を聞くことも忘れていて、避難所生活も終わり、我が家に帰ってから、お礼を言いたいと何度も学校に出向き、先生方に「誕生日を祝って歌を歌ってくれた子供さんを探してください」と頼まれたそうです。学校でも子供たちに聞いたそうですが、「ぼくです」と手を挙げる子はいなかったそうです。それが、震災2年目の5月に行われた運動会で、高齢の方の「どうしてもお礼が言いたいので、探してください」とのお願いで先生方が子供たちに尋ねられたら、ようやく3年生の子が「ぼくです」と手を挙げたそうです。高齢の方は、その子供に何度もお礼を言われたと聞きました。地震直後の混乱した状態の中で、誕生日を祝ってくれた子供の歌で、前を向いて生きる気持ちが湧いて来ましたという高齢の方の気持ちが痛いほど分かります。顔見知りでもないのに避難所で一緒に暮らした人の誕生日を祝う子供の優しさに胸打たれました。
知人の話ですが、前震の時には隣近所の方がみんなびっくりして家を飛び出して、地区の空き地に避難し、ビニルシートを張って一夜を明かそうとしたところ、液状化現象が起き、下から水が湧き出てビニルシートが水浸しになったそうです。高齢の方が2組おられたそうです。この方たちをここには寝かせておけないと、みんなで近くの公園に避難しましたが、公園には夜露を避けるようなものはなく、一夜を過ごすことができません。大きなワゴン車を持っている人が「この車の中で、一夜を過ごしてください」と避難所として車を提供したそうです。お互いの助け合いによって、高齢の方たちはその晩を過ごされたと言うことでした。
私は益城町で、放課後子ども教室のコーディネーターをしております。その放課後子ども教室で、算盤を教えている方も被災されました。家が全壊したため、益城町の広安小学校体育館に避難をしていました。その人は、この先どうやって生きていったらいいのだろう」と不安いっぱいで下を向いて避難所内を歩いていたそうです。その時、後ろから「算盤の先生、大丈夫でしたか?」と子どもが声をかけてきたそうです。その子どもの声を聞いて、ハッと我に返って「前を向いて生きていかねばいけないと思った」と言っていました。
 反対に、人権感覚を逆なでするようなことがありました。皆さんも記憶に新しいことと思いますが、「ライオン逃げた」のデマが流れたことです。それも、路上に立つライオンの姿を添付して。震度5強以上の余震が長く続きました。ほとんどの方が屋外で過ごしました。そこへ、ライオンが逃げたのデマが広まったのです。地震の恐怖に加え、ライオンの恐怖も加わり、動物園には問い合わせの電話が殺到したそうです。
 このデマを発信した人は、偽計業務妨害の疑いで逮捕されました。デマを書き込んだとして逮捕されたのは全国で初めてだったそうです。デマというのは東日本大震災の時にもいっぱいありました。それが風評被害となって、今でも続いています。
人権問題、同和問題も流言飛語から生じた面があると思います。まちがった情報が流れ、いつの間にかそれが真実であるかのような思い違いをした結果が、人権問題が生じた要因の一つでもあるように思います。
 子供が熊本地震から学んだことを記した作文があります。読んでみます。

熊本地震を振り返る

昨年の4月14日と16日に熊本地震があり、ぼくの住んでいた家が壊れてしまいました。ぼくの家族は、2週間ほど車中泊をして、1ヶ月半ほどテント生活、2ヶ月半ほど益城町総合体育館で避難生活をしました。車中泊では、食べるものが無く、炊き出しのおにぎりをもらうのに2時間以上並んだりしました。テント生活では、電気のない生活がとても不便でした。避難所では、毎日冷たいご飯で、温かいご飯が食べたいなと思っていました。それから、仮設住宅に移って温かいご飯が食べられるようになってうれしかったです。仮設住宅に入ってからもいろいろな方から支援してもらいました。これからは、ぼくたちが復興に向けてがんばろうという気持ちになりました。
 ぼくの将来の夢は、薬剤師になることです。なぜかというと、地震後、約4ヶ月の避難生活の間に、何度も熱を出してしまい、そのたびに、救護班の薬剤師の人たちが来てくださいました。そのとき、やさしく接してくれました。この姿を見て、ぼくも将来、やさしく接することのできる薬剤師になりたいと思いました。そのことを家族に話したら「勉強をがんばらんといけんね」と言われました。だから、ぼくは、勉強をがんばって薬剤師になろうと思いました。地震後、いろいろな人に支援してもらいました。その方々に、とても感謝しています。もし、次に他の場所で地震や災害があったら自分たちにできることを考えて支援していきたいです。


 熊本地震で失ったものは数多くありますが、学んだこともたくさんありました。
ところで、今、人権という言葉を使いました。自分の人権、他の人の人権も同じように守っていく。これが「人権の共存」ですね。この「人権共存社会」を日本でも、世界でもめざしています。人権共存社会をつくるために、皆さん方は人権啓発活動をそれぞれの職場や地域でおこなっていらっしゃいます。
 人権とは、「勤労権」「教育を受ける権利」「結婚する権利」等人間が持っている権利の総称です。すべての人が人権を享有し、お互いの人権が調和を持って行使される「人権の共存」社会の実現のために、様々な人権問題について、正しい知識を身につけ、相手の立場や気持ちに敏感になる人権感覚を磨き続けていきたいと思っています。人権感覚については後ほど触れます。
 女性の人権、子どもの人権、高齢者の人権、障がい者の人権、同和問題(部落差別)、外国人の人権、水俣病をめぐる人権、ハンセン病回復者の人権等々様々な人権課題があります。
 中でも早急に解消しなければならない人権課題が同和問題です。冒頭、私の現在の仕事の紹介の中で、自分が生まれ育ったふるさとを誇りに思い、ふるさとを愛し、ふるさとを背負って立つ人材の育成と言いましたが、そのふるさとのことで差別されるという理不尽な問題が同和問題です。
 法務省のホームページに次のような記述があります。


 「あの人は同和地区出身だから…。」などと言われて、結婚を妨げられたり、就職で不公平に扱われたりするなどの事案があとを絶ちません。同和問題の解決に向けて、差別意識の解消のための取組などが必要です。
 同和問題は、日本社会の歴史的過程で形づくられた身分差別により、日本国民の一部の人々が、長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態におかれることを強いられ、今なお、日常生活の上でいろいろな差別を受けるなど、我が国固有の人権問題です。
 この問題の解決を図るため、国は、地方公共団体とともに、昭和44年以来33年間、特別措置法に基づき、地域改善対策を行ってきました。その結果、同和地区の劣悪な環境に対する物的な基盤整備は着実に成果を上げ、一般地区との格差は大きく改善されました。
 しかしながら、結婚、就職問題を中心とする差別事案はいまだにあとを絶ちません。国は、同和問題の解決に向けた取組を積極的に推進しており、法務省の人権擁護機関も、問題の解決を目指して、啓発活動や相談、調査救済活動に取り組んでいます。


 今年は、同和問題の解決は行政の責務であり、国民の課題であると指摘した同和対策審議会が答申(昭和40年1965年)を出してから54年目の年にあたります。また、部落差別の解消の推進に関する法律(平成28年2016年)が制定されてから3年目の年にあたります。この部落差別解消推進法第1条には次のように述べています。


(目的)第一条

 この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、相談体制の充実等について定めることにより、部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。


 この法律は、部落差別が今なお厳存していること、部落差別は許されるものではないこと、そして部落差別のない社会の実現のため国・地方公共団体、そして国民一人ひとりが実践・行動することを目的としたものです。
 私の同和問題との関わりについて少し述べさせていただきます。
 私は、昭和18年、農家の長男として生まれました。当時は、農家の長男は、農家の跡取りをするのが当たり前と誰もが思っていました。そのような時代に父は、「有紀、家のことは心配せんでよか。お前の好きな道を歩め」と子どもたちの思いを受け止めていました。私はそんな父を敬愛しています。その父に1度だけ強く抗議したことがあります。
 それは、私が結婚を意識し始めた頃、昭和44年のことですが、私が結婚しようと思っている女性がどこでどのように育ったかなどを聞いていたことを知ったからです。「生涯、共に暮らすに相応しい人」と私が決めていた女性(今の連れ合いです)と私の尊厳と人権が侵された思いで、憤りに震え、「父ちゃん、あたはおるば信じられんとな。彼女ば信じられんとな」と父に強く抗議しました。当時、私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。
 私は、上益城教育事務所と県社会教育課で社会教育主事として働きました。同和問題研修会で、地区出身の若者の話を聞きました。
  私は地区出身です。私のどこが皆さんと違いますか。
  違うという人がいたらどこが違うか教えてください。
  皆さんと違うのは、生まれた場所が部落ということだけです。
  皆さんと同じように明るく生きたい。
  皆さんと同じように恋もしたい。結婚もしたい。
  皆さんと同じように幸せな家庭もつくりたい。
 私はこのような願いをどれだけ知ろうとしていたか。人ごととしてながめてはいなかったか。「同和問題を自分のこととして受け止め、考えていく」と強く思いました。
 ある研修会で、「昨日まで「おはようございます」「こんばんは」て挨拶しよった人がある日突然よそ向いて行くようになる。なしかわかりますか?」「あたは、酒飲んで夜遅くタクシーで帰るとき、どこで降りるな?家の前で降りるど?わしたちゃ雨の降ろうが雪の降ろうが、家から離れたところで降りる。なしかわかるな?」「高校生がバス通学する。家の近くのバス停ではなく一つ先か手前のバス停で乗り降りするとばい。なしかわかるな?」と問われました。「タクシーで帰る時、我が家から離れたところで降りる」「家の近くのバス停を利用できない人がいる」など考えたこともありませんでした。私には当たり前のことが当たり前でない人がいることを知ったときは、衝撃でした。こんなおかしさはなくしていかねばならないと強く思いました。
 ある支部長さんからもたくさんのことを学びました。支部長さんは、「中川さん、あたはわしが大声で言うけん怒りよって思いよるど?わしが大声で言うとはな、わし達が受けてきた差別の苦しみ、きつさ、不合理さば子や孫に味わわせようなかったい。早よう同和問題ばなくして欲しかけん、大声で頼みよっとたい。あたたち、行政の人に頼まにゃこの問題は解決せん!」といつも話されました。この支部長の話がずっと心に焼き付いています。それで、今でも人権問題の解決に向けて話をさせてもらっています。
 同和問題は部落差別のことです。私が言うまでもなく部落差別は作られて差別です。このことを
熊本県人権同和政策課が作っています「人権研修テキスト同和問題編」部落差別の起源についてでは、は次のように述べています。


 部落差別の起源は諸説ありますが、通説では封建社会が確立されていく過程の中で、幕藩体制の強化・維持を目的として、当時の社会にあった偏見を利用して、政治的・人為的に作られた身分制度に由来しているといわれています。


 作られた差別である同和問題が他の人権問題と違うところは、4点あると私は思っています。一つは、目で見ての差別ではなく、耳で聞いての差別です。人から聞いての差別です。このことをある方は口承説話による差別だと言っていらっしゃいます。二つは、出身地や、居住地による差別です。このことは身元調査等からも明らかです。三つは、職業等に関する予断と偏見による差別です。これは、中世の頃、人や家畜の死や血に対する恐れがこのような仕事にかかわる人にまで「ケガレ」意識を持ったことから続いているものです。四つは、一代で終わらず、永代にわたる差別です。
 この不合理な同和問題に関して現在起きている差別には次のようなものがあります。
○結婚の際に出身地等を理由に差別されること
○就職に際して不適切な質問をされ、採用選考で差別されること
○不動産売買等における「土地差別」

特定の土地が、同和地区であるかどうかを市町村に問い合わせる土地差別調査事案が県内でも発生していると聞いています。人権同和政策課の資料によりますと、


 平成23年11月  宅地建物取引業者から電話での問い合わせで「○○の横の土地は同和地区か」
 平成24年 7月  電話での問い合わせで、「市内に同和地区はあるのか」
 平成25年 4月  来庁のうえの問い合わせで、「(地図を示して)ここは同和地区か」
 平成25年 7月  電話問い合わせで、「○○に同和地区はあるか」
 平成28年 2月  電話問い合わせで、「○○地区は同和地区か」
 令和 元年 7月   電話問い合わせで、「同和地区を調べる方法はあるか」


このような事案があったということです。
 このようなことが起きることは、未だに県民の意識の中で差別意識があることであり、同和地区と関わり合いを避けたいとの意識から起こるものと思います。さらなる啓発が必要です。
 結婚問題については、熊本県が実施した人権に関する県民意識調査の中で、次のような調査があります。
 「かりに、あなたのお子さんが結婚しようとする相手が、同和地区(歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域をいう。以下同じ。)と呼ばれる地域の人であるとわかった場合、どうしますか」の問に対して、「子どもの意志を尊重する。親が口だしすべきことではない」と約65%の人が回答しています。これは、これまでの人権同和教育の成果だと思います。「親としては反対するが、子どもの意志が強ければ認める」と回答した人が約30%です。この回答者が「子どもの意思を尊重する」へと変容して欲しいと願います。課題は、「家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない」「絶対に結婚を認めない」と回答した人を合わせると、5.4%、約6%の人が結婚を認めないと回答していることです。
 また、「かりに、あなたが、同和地区の人と恋愛し、結婚しようとしたとき、親や親戚から強い反対を受けたら、どうしますか」の問に対して、「自分の意志を貫いて結婚するが約28%、「親を説得して、自分の意志で結婚する」と答えた人が約55%です。、約83%の人が「自分の意志を貫いて結婚する」と回答しています。これも人権同和教育の成果だと思います。しかし、「反対があれば結婚しない」が約18%というのは人権同和教育の大きな課題です。
 あらゆる学校で、あらゆる地域で、人権同和問題について教育・啓発が行われています。しかし、結婚しようと思っている当人達の約2割が同和問題に対する誤った認識から反対があれば結婚しないと回答していることを私たちは厳粛に受け止めねばならないと思います。
 インターネット等での差別表現や差別情報が拡散されています。言葉にはできない文言がネット上にあります。人には差別発言をする時、ためらいがあると思います。人を傷つけることはよくないとの心の規制があると思います。インターネット上の書き込みは、匿名であることからこのためらいや心の規制のハードルを下げているように思います。
 今、学校では、人権教育指導法の在り方第3次とりまとめに示してある人権教育が進められています。このとりまとめでは、人権教育を通じて育てたい資質・能力を「自分の人権を守り、他の人の人権を守るための実践行動」として、「この行動力は人権に関する知的理解と人権感覚とが結合するときに生じる」としています。このとりまとめにかかわられた福田先生は、「人権感覚を育むためには、感動する感性、適切な自尊感情、共感する力が大切だ」と述べておられます。人権感覚を身につける人権教育の在り方を真剣に考えるべきだと思います。
 また、同和問題解決のためには、同和問題に関しての正しい理解、人権尊重の精神にたった社会づくりが必要だと思います。同和問題に関して正しく学び、正しく理解することです。
 先ほども触れましたが、同和地区の起源について熊本県が作成した啓発資料には、次のようにしるされています。


 通説では、封建社会が確立していく過程の中で、幕藩体制の強化・維持を目的に当時の社会の中にあった偏見を利用して、政治的・人為的につくられた身分制度に由来していると言われています。その当時の偏見とは、人の死、牛馬の死、あるいは怪我をしたときに出てくる血、こういうことを科学的に立証できるような、世の中ではありませんでした。合理的に考えれば全く根拠のない考え方ですが、死とか、怪我をしたときの血とかに関して恐れ、あるいは避けるものがあり、「ケガレ」という考え方が広まりました。「死や血などに触れると触れた人も穢れる」という考え方が形づくられ、やがて「人や動物の死や血に触れる仕事に従事する人々は、その穢れが感染し、穢れた存在である」という誤った考え方が社会の中に広まっていきました。


 この考え方が、特定の仕事や役割を担った人々に対する偏見を形づくり、社会的に差別された身分を生み出すことにもつながりました。
 私は小・中学校時代の幼友達と同和問題について話をすることがあります。そのとき、友人の一部には、「ありちゃん あたたちがそぎゃん話ばするけん知らん者まで知ってしまう。そぎゃん話はせんほうがよか」という人がいました。「ほんなこつ同和問題は話さんほうがよかろか。あたは同和問題をどぎゃんして知ったや?」「友達や先輩から聞いた」「だろう。学校で勉強したり講演会で聞いたりせんでも、知っている人が多か。周りから聞いて知ることが多かけんたい。だけん正しく学び、正しく理解することが大事たい」と言っています。
 また、「俺は差別もせんし、誰とでも付き合いよる。同和問題は自分には関係なか」という人がいます。普段は何とも思っていなくても利害関係が生じた時などに差別意識が出てくることがあります。その例が結婚差別であり、土地差別であると思います。ですから、私たちはこのような講演会等に参加して、自分の心の中にある差別心を一つ一つ取り除くことが必要であると思います。
 先ほど述べましたように平成28年に部落差別解消推進法が公布されました。
 私は、落差別が存在すること、部落差別は決して許されるものではないないことを認識し、部落差別の解消に向けて自分にできることは何がを求めていきたいと思います。
 熊本県が人権課題としてその解決に取り組んでいるのが水俣病をめぐる人権課題があります。
 これも皆さんご存じのように水俣病とは


 工場排水のメチル水銀によって汚染された魚介類を、長い間たくさん食べたことが原因となって発生した中毒症のことです。伝染病・遺伝病・風土病等ではありません。
 主な症状として、両手足の感覚障害や視覚・聴覚障がい、運動失調等があります。妊娠している母親の胎内に入ったメチル水銀が、胎盤を通して胎児へ取り込まれることにより発症した胎児性水俣病も発生しています。           
                                                        人権研修テキスト(熊本県人権同和政策課)よ


 課題として挙げられているのが、
 ○伝染すると誤解され、患者や家族は地域のつきあいを断られることもあった。
 ○水俣出身というだけで、結婚や就職上差別されることがあった。
 ○今なお、被害者や地域に対する差別や偏見が解消されていない。
などです。
 水俣病を題材とした石牟礼道子さんの「苦海浄土」を読んだ方がいらっしゃると思います。石牟礼さんは長年にわたって水俣病患者さんと交わり支援したことをこの本に表しています。この本の中には、胎児性水俣病患者さんのことがたくさん書いてあります。その中で、江津野杢太郎さんのことを書いた箇所があります。杢太郎さんのおじいさんが石牟礼さんに語りかける場面です。


 杢は、こやつぁ、ものを言いきらんばってん、ひと一倍、魂の深か子でござす。耳だけが助かってほげとります。何でも聞きわけますと。聞きわけはでくるが、自分が語るちゅうこたできまっせん。生活保護いただくちゅうても、足らん分はやっぱり沖に出らにゃならん。わしもこれの父も半人前もなかもん同士舟仕立てて、言いふくめて出る。杢のやつに、留守番させときます。すると時間のたつうちにゃ、ぐっしょり、しかぶっとりますわい。
 しかぶっとるか、しとらんか、顔見りゃすぐわかる。じゅつなか顔しとります。気の毒しゃして。気いつこうて。肉親にでも気いつかうとですけん。冬でのうてもぐっしょり濡れて、寒さに青うなっとる。
 このじじばばが死ねば誰がしてくるるか。親兄弟にでも、人間尻替えて貰うとは赤子のときか、死ぬときか。兄貴も弟も、やがては嫁御を持たにゃならん。そんときこれが、邪魔になりゃせんじゃろか。そんときまで、どげん生きとれちゅうても、わしどま生きられん。
 ほら、わしがこの目、このように濁っとります。もう大分かすみのかけて見えまっせんと。この目ば一生懸命ひっぱってあけて、この前のごつお迎えのバスの来れば、ああいう風に、病院にも、背負うて連れて行きます。からえば、腰の曲がってちぢんどるわしよりか杢の方が、やせてはおるが足の長うなって、ぞろびくごてござすとばい、もう数え年は十でござすけん。
 わしも長か命じゃござっせん。長か命じゃなかが、わが命惜しむわけじゃなかが、杢がためにゃ生きとろうござす。いんね、でくればあねさん、罰かぶった話じゃあるが、じじばばより先に、杢の方に、はようお迎えの来てくれらしたほうが、ありがたかとでございます。寿命ちゅうもんは、はじめから持ってうまれるそうげなばってん、この子ば葬ってから、ひとつの穴にわしどもが後から入って、抱いてやろうごたるとばい。そげんじゃろうがな、あねさん。


 あねさんとは、おじいさんが石牟礼さんに語りかける言葉です。
 おじいさんも息子さんも、そしてお孫さんも水俣病にかかっていても、それを受け入れ、必死に生きていこうとする水俣の人々の生きる強さ、優しさがひしひしと伝わってきます。
 お読みの方もおありと思いますが、もう一度読んでみませんか。
 さらに、ハンセン病回復者等の人権があります。  
 ハンセン病とは


 感染力が極めて弱い細菌による感染症です。現在、日本での感染・発症は実質的にゼロといえます。すぐれた治療薬により、障がいを残すことなく外来治療で完治します。後遺症として外見的な変形が残る場合があるため、いつまでも病気のままだと思われがちですが、完治後に感染することはありません。
                                                   人権研修テキスト(熊本県人権同和政策課)より


 熊本県では、ハンセン病回復者等に対しての偏見や差別事件がいくつもありました。中でも、小学校入学拒否事件、ホテル宿泊拒否事件は、啓発活動の大切さを私たちに教えてくれました。
 小学校入学拒否事件とは、昭和29年、熊本市の黒髪小学校で起きた、ハンセン病患者を親に持つ子どもの入学を拒否する事件です。ハンセン病患者を親に持つ子と我が子が一緒に机を並べて勉強するなら我が子がハンセン病に感染する、このようなことは決してさせてはならないという親の間違った理解から起きた入学拒否事件です。プロミンという治療薬があること、きわめて感染力は弱いこと、当時の栄養状態では感染することはないこと、濃密な触れあいがなければ感染しないことなどを正しく啓発しておれば起きなかった事件です。
 ホテル宿泊拒否事件とは、平成15年、黒川温泉郷のあるホテルがハンセン病元患者の宿泊を拒否するという事件です。この宿泊拒否事件は、熊本県が1日も早く解消しなければならい人権課題としてハンセン病についての教育・啓発を行っている中で起きた差別事件です。これは入学拒否事件とは大きく違います。90年にも及ぶ誤った施策によって人々の心に植え付けられた偏見や差別は根強く残っています。「いくどとなく啓発活動をしてきた」「自分は人権研修を何回も受けてきた。もうよか」ではなく、いろんな機会に人権問題について考える啓発活動を続けることの大切さ、さらなる教育・啓発が必要であることを私たちに教えてくれました。
 私が差別事件から学んだことはたくさんあります。中でも次の2つを挙げたいと思います。
 ○様々な人権課題解消に向けた教育・啓発活動を続けること。
 このことは部落差別解消推進法にもうたってあります。
 ○人により添い、考え、判断し、行動する人権感覚を身につけること。
 人により添い、考え、行動するためには人権課題を我がごととして受け止めることができる人権感覚を身につけることだと思います。人権感覚を身につけるには、豊かな感性を身につけることです。豊かな感性を身につけるには、心を揺り動かされる体験、私はこれを情動体験と言っていますが、この情動体験を数多く積み重ねることだと思います。映画を見て、テレビを見て、思わず涙することがあります。本を読んで涙することもあります。友との語らいの中で涙したり、大笑いをしたりすることがあります。中学校や高校の体育祭で、応援合戦をやりきった感動で肩を組み、肩をふるわせて泣いている光景を目にすることがあります。子どもたちにはこの情動体験を数多く味わわせたいものだと思います。私たちも積み重ねたいと思います。 
 そして様々な人権課題に関心を持ち、正しく学び、理解を深め、相手の立場に立って判断し、自分にできる行動をしようではありませんか。
 学校でも社会でも教育啓発活動が行われていますが、なぜ差別や偏見はなくならないのでしょうか。
 私たちの意識の中には、知らず知らずのうちに刷り込まれていることがあります。それが思い込みや決めつけとなることがあります。つまり[○○=○○]という思い込みであり、決めつけです。皆さんは、野口雨情の「七つの子」をご存じでしょう。歌ったこともおありでしょう。雨情は当時世の中にあった「黒いカラス=不吉な鳥」という考えのおかしさを訴えるためにこの歌を作詞したと言われています。
 刷り込みが決めつけや思いこみとなり、偏見を生みます。これにマイナスイメージが加わると、差別心や差別的言動として表れます。また、無知、知らないところに間違った情報を真実と思いこむことによって偏見が生まれ、差別心や差別的言動が生まれます。
この思い込みは時として偏見を生みます。また、偏見は、無知や誤解から生まれ、差別を助長します。それを乗り越える力が、私たちにはあります。様々な人権課題に関心を持ち、正しく学び、正しく理解を深め、相手の立場に立って判断し、行動しましょう。
     
 論語に、次のような文があります。


論語 衛靈公第十五 412

    子貢問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
    子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。


 私は論語を深く読んでいるわけではないのですが、衛霊公第十五412の文です。
 子貢とは、孔子の門弟の一人です。その子貢が孔子に尋ねました。
「先生からお教えいただく一語を心にとめて生きていけば、生涯、人としての道を過たずに生きていけるという言葉がありましょうか」
 孔子が答えました。
 「その言葉は恕だ。そして自分の望まないことは人にしないことだ」と。
 「恕」とは、「相手の身になって思い・語り・行動することができるようになること」と訳してあります。
 人権が尊重される社会とは人権文化の花咲く社会です。人権文化の花咲く社会づくりのためには自分には何ができるかを日頃から考え、恕の心を持って実践していこうではありませんか。
 ご静聴ありがとうございました。